2018-10
例えばグループディスカッションをするとして、円滑に議論を進めるために司会進行役や書記を用意したとする。残りは特に役職を付けずに自由に議論を行う。
ここで役職を与えられた人と役職は与えられずに議論を行う人で何か上下関係が発生するかと言うとそんな事は無くて、ただそれぞれに役割が与えられて等しくそれに従っているだけ。
会社も同じようなもので、あくまで上司というのは会社の運営を円滑に進めるための役割というだけであって別に上下関係が発生する訳ではない。当然「長」という役割を持ったからには部下に指示を出し部下はその指示に従うわけだが、それはその方が業務を行いやすいからであって上下関係があるからではない。
そういった進行管理の役割は誰にでも出来るものではないので、そこに価値が見出されて給与に反映される。上に行けば行くほどその役割を遂行できる人が少なくなるので高い給与が設定される。
てな訳で上司も社長も別に偉くないよって話をしてもあんまり理解を得られないんですけど、なんでなんでしょーね。自分がその立場になったら偉くなりたいとかそういうやつなんですかね。やーね。
チーム戦のゲームやっているとついつい自分はちゃんと一人分以上の働きをこなしているのに味方のせいで…って思いがちなんだけど、そこをぐっと堪えて「その時に自分がどういう行動を取っていれば優勢に持って行けたか」を考えられるようになると少しだけ冷静さを取り戻せるし勝率を上げる事に繋がってくるなって感じたのが昨日。一晩経ってこれって何にでも通じる考え方だなって思ってかたかたブログ書いてるのが今日。
人生で大切な事は全てゲームで学んだ。
少しずつ部屋からモノを捨て始めている。思えばここも6年近く住んでいて、モノが増えすぎてしまっていた。ぼちぼち引越しを考えているけれど、一旦リセットしたい。シンプルに必要なものだけで生活を再構成したい。漫画が一番場所を取っているけれど、漫画は必要なモノなので出来る限り捨てない方向で行く。
そういえばそろそろ就職して1年になるので、ぼちぼち今のプロジェクトが落ち着いたら辞めようかなと考えている節を上司に伝えた。来年の5月とか6月とかになると思う。もっと早く辞めても自分としては問題ないんだけれども、紹介してくれた上司への義理は果たさなければならないといった所での妥協案。人間関係はすごくいい方だしお給料も別に気にしてないからいいんだけれど、週5フルタイムのオフィスワークがやっぱりしんどい。
なんだかんだで1年近く働けてたから出来る出来ないでいえば出来るんだけど、それを実現するために諦めなきゃいけない事と釣り合ってないなと思う。仕事を通じて成長出来ればそれでいいんだけど、そもそも成長に足る仕事が降って来なければどうしても限界がある。その辺も今いるとこだと微妙に領域外だし、今やりたいのはハイブリッドアプリ/AIあたりなので中々噛み合っていない。ハイブリッドアプリは今の会社でも出来そうな余地が少しあるけど、AIは基礎からなのでそこにお給料を出せる余裕は今のところないと思うし、自習するなら会社にいる事にこだわる必要はないし。
辞める頃には週3勤務とかフルリモートとかで働ける会社がもっと増えてると選択肢が増えていいなー。今のところフリーランスが最有力候補だけど、大した人脈がある訳じゃないのできちんと戦略立ててかないと駄目かもしれない。でもてきとーに生きたいね。
ちょうどフロントエンドをやる機会が発生したんだけど、やっぱ早速React採用してモダンな感じで!って進めていくにはちょっと時間が足りなかった。日頃から使えるようにしておいて業務で実践だ!が出来ないとどうにも新技術の導入は難しい。もっと工数確保出来ればいいんだけれども。
週5で働いてると土日は基本的に睡眠に費やしてしまい自主学習なんぞ出来る時間なんて残っていないので、やっぱりリモートワークで拘束時間をもっと減らすとか週休3日で働けるとかしないと付加価値を付けづらくなってる。ゲームやる時間はこれ以上減らせないので労働に関する時間を減らす必要がある。というか積んでるゲームも多くなって来ていてゲームやる時間はもっと増やしたいので、もっと革命的に労働を削りたい。無職。
就業時間中に好きな勉強が出来る時間があって、そこでReact Native触ってみてやっぱりReact習得しておかないと今後ついていけないなということとネイティブアプリがどういうコード書いているか知らないとなんだかんだReactでラッピングされててもアプリを作るのは難しいなという二つの気付きを得た。
今SPAチックなものをゴリゴリいじる時は大体Riot.jsでさっと作ってるけど、React触れないと駄目だなあ。Reduxのコードがどうしてもすんなり頭に入ってこなくてどうにもちょっと触ってはやめ…を繰り返していた。もうだいぶ周回遅れになってるけどいい加減向き合わなければ。
HTML5/CSS3/JavaScript(ES5)/ES6/jQuery/Backbone.js/Riot.js/React/React Native/PHP/Laravelって並べると市場的にはそこそこな感じになるんでないか?ふるすたっくえんじにあ(笑)が見えて来た。
顔色を伺わない事が一つの共通点としてあるなと思った。
あとは種を散りばめておく考え方。色々な場所に種を仕込んでおいて、どれかが芽が出れば儲けみたいな。大半が芽が出ずに終わるんだけど、なんか芽が出たら自分の手柄になるし芽が出なかった種には気付かれないので「あいつはいつも結果を残してる」みたいな評価がついたりする。全然そんな事ないんだけどね。
ただし一つ植えてみて芽が出なかったらそこで終了、みたいな事をしているとあんまりやる意味が無い。その上「種を蒔きました」って周りを巻き込んだりしてると「あいつは結果を出せない」って認識がなんとなく出来てしまう。こそこそたくさんの種を蒔くのが重要。
2018-09
限りなく決断をしたくない。昔から決断をずるずる引き延ばす癖があってどうにも治らないので、ならそもそも決断をしない生き方をすればいいじゃないかということで色々模索することにした。とにかく小さな所から始めて日常をルーティンにしたい。
自分にしっくりくるToDoアプリを作ろうとずーっと思っててまだ形に出来てないんだけど、色々家のこと考えていてようやく作りたい理由が見えた。ToDoアプリに全てを委ねる生活を送ることでスケジューリングの時間を浮かせたいと思っていたが、本当は決断するという行為をアプリに移譲したかったのだ。アプリのままに従っていれば何も考えなくていい、というか本当に決断しなければいけない事柄だけにリソースを割けるというか。
漫画の整理どうしよっかなーから始まって、漫画は捨てないんだけど断捨離したくなってきて、いっそ服とか再構成して服選びに時間かけないようにしたいってなって、なんでそう思うんだろうって立ち止まった時に「服を選ぶには決断するというコストがあり、そのコストを無くしたい」からだって気付いてその流れ。
根元が分かればアプリに何を任せたくて何が出来ればいいのか少し見えてくるはずなので、毎日どっかで時間作って詰めていかねば。ポートフォリオも作らねば。今やってるゲームも上達せねば。積んでるゲームも消化せねば。時間が。時間が。時間が!
本を読む時は背景を想像しつつ、内容を頭の中で映像化し、頭の中にある具体的な事象や関連する事象と結びつけながら読むべし。
MBP買ってからちょこちょこ日記書くようになったけど、ちょっと前の自分が書いたものなのに読み返してみると結構的外れだなって思う事書いてるな。その時はそう確信していたはずなんだが。そこのズレというか、思考の差分を認識出来るだけでも日記を書くことに価値があるのかもしれない。或いは無意味なものと気付いていながらもなんとかして価値を見出そうとしているだけかもしれない。とりあえずMBPのキーボードの感触が好きで、だらだらタイピングするのが気持ちいい部分は変わっていない。
そもそも価値なんて自分だけが見出せてればいいのであって、自分以外全ての人間が無価値だと感じていてもどうでもいいのだ。それは自分が見出した価値が無価値になる根拠にはならない。ろくにSEOも行わず宣伝もせず内容もその日思った事をただタイピングが気持ちいいという理由だけで書き連ねているだけのものをWebで公開することに客観的に見て価値があるとは思えないが、それでもこの日記は自分が自分であるために必要な要素なのだ。多分。
今までこういう時はSNSとかで発散して来たんだけど、ここ最近自分の思考は自分で手綱を握りたい気持ちが強くなってきて今はここに書く方がしっくり来るようになってきた。もしかすると自由に飢えているのかもしれない。自由というか、自分が自分であるための責任というか。日頃から責任なんて取りたくないって言ってるのに最終的にそこに帰結するのかって感じだけど、逆にそこの責任だけは他人に委ねたくないんだろう。それが自分を形作るものだから。
まとまりがなくなってきたけど、要するにやりたいように生きるのがいいよねってことでひとつ。
数学を勉強しないと次のステップに行けない気がする。2Bで止まってる上に最早ろくに覚えていない身なのでちゃんとやるなら1から覚え直しになりそう。高校生の頃は数学好きだったけど、当時は数学よりも連ザIIで強くなることやドンドルマでひたすら竜の狩猟に明け暮れる事の方が大事だった。あんだけ勉強しなさいって言われてたけど、実際大人になってみないと勉強の重要さって分からないものね。
大人になってからの勉強は基本的にあっという間に時間が過ぎるレベルで楽しいからいいんだけど、この楽しさを子供の頃に知っていればもう少し違った在り方をしていたのかもしれない。学校や予備校をサボってゲームに明け暮れ、楽しく遊んでいた趣味が高じてエンジニア的なお仕事が出来るようになったので結果的には良かった。道を踏み外した感はある。
「ぐーたら寝て遊んで気が向いた時に働きたい」を実現するためにはやっぱり仕事の量を自分でコントロール出来るフリーランスが一番向いてるんじゃないかと思っているけれど、そういう環境を用意してくれる会社があるならば別にそこでもいいかなと思っている。どんな会社だ。
フリーランスで食っていくってなった時にエージェントに任せる以外だと技術系のブログ記事からサイト経由で仕事の依頼ってのがどうやら多そうなので、なんかポートフォリオサイト作って技術系の記事を色々ストックせねばだ。どちらかというと技術単体というより技術を組み合わせてどう実践するかの記事が人気出るっぽいので、なんか色々モダンな感じのWebサービスも作ってみなければだ。Webサービス作って制作過程の記事書いてポートフォリオサイトも公開して、ってなると相互に良い作用を生む気がする。すごい。でも全部やろうとすると絶対投げ出すので、まずはサイトからだ。
それにしても、休みの日に黒い画面をかたかた弄って開発環境構築してきゃっきゃしながら遊べるようになったあたり去年就職して良かったなって思う。多分一人だったらここまで出来るようにならなかっただろうし、そもそもずっと逃げ続けていただろう。どっかで逃げられない時が来たらやればいいやの精神で生きてきたから。未だにその精神ではあるけど、逃げられない時が次から次へと用意される環境だから出来る事がどんどん増えてくる。そういうことをさせてくれる会社に感謝。
まだまだ勉強不足感は否めないけどこの領域さえカバー出来れば多分なんとかなる目処は付いているので、今の会社に勤めているうちになんとか知識を習得したい。お金貰ってお勉強出来るの最高!
やりたいと思うならやればいいじゃん、っていうごくごくシンプルな話が中々理解を得られない。なんででしょうね。
毎日定時で帰りたいならちゃんと定時で出来る量の仕事に調整すればいいし、もっとお給料が欲しいならもっと高く自分のスキルを買ってくれる所に行けばいいし、長く働いて欲しいなら相応の待遇や環境を用意すべきだし。出来ない理由があるならそれを潰していくだけ。
人生やりたいことやってる時間が多い方が楽しいと思ってるから、やりたくないことからひたすら逃げ続けてやりたいことだけで回るような仕組み作った方がいいよね。
やっと繋がった。うちのえんじにあは直接利益を上げられていない、って言葉にずっともやもやしたものを抱えていた。労働者視点だと「皆が出来ないことをやっている代わりに賃金を得ている」だけど、経営者視点だと「えんじにあがいくら仕事しても直接お金を稼いでくる訳ではない」だからズレてるんだなあ。そりゃ社内案件ばっかなんだからしょうがないでしょ。営業雇って外注の仕事貰ってくれば稼げる部署になるけど、インハウスでわざわざ部署作ったのってそういうことさせたいからじゃないのにそういうことを求められるのはおかしい。
出来ないことをやっている、に価値を付けられるのは多分やっている事の価値が分かってないと出来なくて、そういう意味で自分の価値を測るためって目的だとあんまりマッチングしてなかったんだなってそろそろ1年目を迎えるって時にようやく気付いた。逆も然りで、自分も自分が生み出している価値を正確に値踏み出来ないと正確に評価されていないと思い上がる事になるのでその辺は自戒せねばなるまい。
やりたい事が多すぎて逆に絞りきれずに結局何にも手を出さずに終わってしまうっていうのが今まで結構あったんだけど、ようやく最近は腹括れるようになってきたな。捨てる勇気って題名の本あったと思うけど、読まずして境地に辿り着いてしまった。
やらない、という判断を下すのは自分の中ではすごく難しい。世の中は「やった方が良いこと」で溢れていて、やらないっていう判断を下すのは「本当はやった方がいいんだけど、でもやらない」という事になる。その誘惑に耐えるのが難しい。自分の事以外だったらその辺の判断は簡単に下せるんだけど、自分の事になるとどうにも時間が無限にあると錯覚してしまう。自分の時間も有限なのに。
自分の思い描く人生を生きるために、「やらない判断」を今後ズバズバやっていけるようになろうと思う。
Gutenberg入れてみた。昨日読んだ記事の影響受けまくり。なんか駄目そうなら戻す。
今日は研修の講師として初めて延々6時間程喋ったが、案外話せるものだなと思った。もちろん小規模だったが故にある程度人に話を振りやすいというのもあったが、向こうも聞いてくれる姿勢が良くてこちらも伸び伸びとできた気がする。欠伸してるのとか見えたけど。
hr入れにくくなったなGutenberg。今後のスタンダードになるなら今から慣れといて損はしないかもと思って使ってみてるけど、慣れるまで少し時間かかりそう。まだエディタがこの形式になったメリットがあんまり見えてこない。だらだらテキスト書いてるだけだと多分あんまり恩恵ないんだろうな。画像をいい感じの位置に配置したり段組作ったりとかってのがエディタでやりやすくなるのかな?
と思って色々いじってたらhr見つけた。ちゃんとデモ見て理解しないといけないかもしれない。何なら今Gutenbergのメニュー見つけた。ちゃんとチェックしよう。それにしてもGutenbergって聞くとグーテンベルグペーパーを思い出すね。ROD最終巻を読むまでは生き永らえたい。こういうとりとめのない話題を次々タイプしてると日記って感じする。タイピングが気持ち良いのがいけない。クリエイティブらしさは今日のところ0。
結局非エンジニアほどS2C見て騒いでるけど、これがあるから今までのコーダーは全てAIに取って代わられるって話ではないと思っている。画像からデザインを再現できるようになるわけじゃないし、紙から最速でプロトタイピング出来るようになるだけ。それ自体はすごく価値はあるが、メインの用途はそれを使ってサイトを作ることでは無く検証に使われることだろう。AIがセマンティックを学習するのはもう少しだけ遠い未来だと読んでいる。
それとは別にHTML/CSS出来るだけのコーダーはそのうち滅ぶだろうなと思ってるけど、今だに多分結構な人数が生きてるんよな。社会ってすごい。
環境は違えど同じような立場の3人が同じ事を言ってたら間違いない法則があって(個人の感想です)、「やってくれてありがとう」にお金が生まれるってのはどうやら合っているらしい。何を当たり前のことをって話だけど、物差しになり得るものはたくさん持っておいて損はしない。
時間とお金は主観でしか価値を決められないから、他人が他人の時間の使い方やお金の使い方に対してとやかく言うのは無意味なので辞めた方がいいよというお話。
一番いい時間/金の使い方をしてる、と言い張れる人が最も価値のある時間/金の使い方をしている。
東京近郊のフリーランスエンジニアとしてPWA/ハイブリッドアプリ/機械学習に精通するのがさいつよって読み解いた。ほんとはこの辺を会社でやりたいって2月には言ってたんだけど、結局どれも触る機会がなかった。もちろん自分から積極的にチャンスを作りに行かなかったのが悪いしそもそもそこまで本気でやりたい訳でもなかった自分がいたんだけれど、辞めた後にフリーランスとしてどう付加価値付けてくか考えると本気で取り組まないと駄目だよなーって感じ。来年の目標はこれにしよっかな。
2018-08
先月くらいにMBP2018買ってから何かしらにMBPを使いたくてモリモリ日記書くようになった気がする。特に目的もなくスペックを見てなんとなく買ったが、おかげで自分からアウトプットする機会が増えて感謝している。実際所持していたMBPでもやれたことではあるのだが、そういう話ではなくてこのMBPだからこそ日記を書いている訳で。
多分タイピングがすごい気持ちいいからだと思う。ノートPCのぺちゃぺちゃしたキーボードって嫌いで前のモデルのキーボードも好きじゃなかったけど、今のモデルは何も書くことがなくてもカタカタ叩きたくなるキーボードに仕上がってる。デスクトップはWindowsだし職場のPCもWindowsだけど、やっぱりノートPCはMacbookだよなあと改めて思った次第。
エンジニアの知的生産術 ──効率的に学び、整理し、アウトプットする
みんなが「お金は働いた分だけ貰えるもの」と認識してるから残業が評価されたり専門職が過小評価されたりするんだろうなあ。その認識自体はそれはそれで社会のセーフティとして機能してるから労働者側はありがたい面もあるんだけど、優秀な人が割食う訳だ。
時間とお金の教育からちゃんとやらないとダメだよなーって思ったところで、そういえば弊社の研修にどっちもあったなと思ってやっぱ社長は分かってるんだなとふと思った出勤中の1シーン。仕事は全然してもいいんだけど出勤はしたくねえー。
Windowsでスリープしなくなった…どうして? 解決法を紹介 |IT小ネタ帳
「powercfg /requests」を入力してEnterキーを押す。するとPC内でスリープを阻害しているシステムなどがないかの調査が行われ、結果を表示。
結局仕組みを作らないと理想の人生を歩めないなって思うと生きる為にお金を稼ぐ時間は極力仕組み作りに費やしたくて、時間をお金に変換してちゃ駄目だよなあ。今年は投資始めたけどそれだけじゃ全然理想には程遠いし。実際貯金はモリモリ増えてるからずるずるこのままでもいいかなって思ってたけど、やっぱちゃんと期間区切らないと駄目だ。頑張ろう。
技術面もそうだけどサラリーマンとして働くとはどういうことかについてお給料を貰いながらたくさん勉強させて貰ったので、そこに関してはきちんと恩は返すべくやれることは精一杯やっていきたい。自分の技術や仕事の仕方なんかを諸々。毎日ニコニコ定時帰りで。あとたまに働きたくなった時に仕事が欲しい。
アウトプットが下手くそなのとここ最近仕事で思う所ありつつもTwitterで吐き出すのは違うなあと思ってここで色々書くようになったけど、自分の思考を可視化するのってそれだけで結構楽しい。検索エンジンにも引っかからない、誰にも見られない場所で好き勝手言ってる感覚。…と思ってGoogleで調べたらちょっとだけクロールされてて危なかった。まあ見られて困るものでもないので。
オフィスに出向く、というのがあまりにも面倒なのでずーっとリモートワークしたくてその為にはどうすればいいかずっと考えていて、いくつかは形になってきたので後は開発環境とか共同作業の仕組みとかだけなんとかすれば最低限リモートワークの環境は整えられそうな所まで来てる。
じゃあその辺どう解決するかというとDockerでありgitであるので、それを広める為にはまず自分がちゃんと知識を付けて説明できるレベルにならないといけなくて、それが…それがいつになるんだろうね。自分で使えるのと人に教えられるようになるのとでは要求される知識の量が違ってくるし、そこまで到達する前に「もだんなかいはつかんきょうがでふぉるとのかいしゃ」にさっさと転職した方が早い気がする。
そもそも今のとこ辞めたらやらなければならないゲームがたくさん控えてるからそれどころでは無いのだけれども。次の査定で給料上がらなくてもいいというか下がってもいいからその分週休3日にならないかなあ。交渉はしてみるけど多分通らないので、そうしたらじゃあ辞めますって言えるから楽になる。逆に通ってしまうとまた辞める理由が一つ消えるのでどうしよう。
時間が無限にあると思って仕事をしてる人と時間は有限であると分かっていて仕事をしてる人って仕事の仕方に大きく差があって、結論から言うと時間は有限なので有限だと思ってる人の方がきちんと時間通りに仕事が出来る人で、無限だと思ってる人は残業で誤魔化した挙句締切を伸ばしたりする。
どうしてそうなるかというと、時間さえかければ目の前のタスクが終わると思っていて、タスクのサイズや突発のタスクを考慮したマージンなんかを考えてないからただ時間を垂れ流した挙句出来ませんでしたって報告することになる。
もっと早い段階でその辺が分かっていれば適切なタイミングでアラートを鳴らせてじゃあ終わらすためにどうすればいいか考えたり出来るんだけど、そもそもタスクのサイズが分かってないからもう間に合わないってタイミングで初めてタスクのサイズが思ったよりある事に気付いてアラーム投げてくる。そうなると評価がだだ下がりだし、終わらなかった理由が大体他責ベースになるから目も当てられなくなる。
そんな訳でたまたまタイミングが巡ってきたのでなんとかして時間は有限であることを伝えられればいいんだけど、どーすれば伝わるんだろうなあ。何かしらタスクが無いと落ち着かないタイプの人とかは絶対そんな仕事の仕方したくないだろうしなー。教師って難しいことやってるんだなあ。
会社は何のためにあるのかという話。お客様にサービスを提供するためにある、という言い分はまあ分かる。じゃあ従業員の待遇は二の次でお客様に尽くすべきかというとそれは違うだろう。お客様に実際のサービスを提供しているのは従業員であって、その辺の待遇に関しては大切に扱わないとただただ人が離れていくだけだと思うけどなあ。どちらに傾いてもダメで、バランスが大事。
従業員を大事にします!お客様は二の次です!って言ってる会社とお客様を大事にします!従業員は二の次です!って言ってる会社、待遇が同じだった場合どっちに入りたいかと思うかだよね。
自分はリモートワーク出来れば何でもいいです。
2018-07
何をやるかより何をやらなくてもいいかを理解するのがスマートに仕事するのに必要なスキルで、やらなくてもいいことに対して本来かけなくてもいい時間をたっぷり使った仕事の仕方をしているとひたすら遠回りすることになるんじゃないかというお話を酒の席でだらだら喋っていた。よくよく考えたらこれ、ただの逆算思考の言い換えだった。ゴールが見えてるからそれに応じたタスクが割り振られて、それをこなせばゴールに辿り着くって分かってるから余計な事に時間を使わないで済むというだけ。研修でこういうのやるんじゃないか?
逆算思考ついで。自分はスケジュールの見積もりが立たないなって思ったらまず自分の立ち位置がどこにあるかというのを把握するようにしているが、これも考えてみれば当然のことだった。スタート地点とゴール地点があって初めてタスクに落とし込めるのに、スタート地点が分かってなかったらそもそも逆算出来るわけがなく、そうなるとゴールが見えないまま闇雲にタスクを積み上げていくしかない。ただし、タスクを積み上げていけばいつか必ずゴールに辿り着く、なんていうのはただの幻想だ。
ゴールが見えている状態と見えていない状態で違うのが「決断のスピード」で、逆算で考えると決断するための材料がタスクの振り方からある程度揃っているが、積み上げで考えると決断に必要な材料がそもそもどれだけ必要でどれだけ集めれば分からないというところから始まり無限に材料探しに時間を費やす結果手遅れになるまで決断が先延ばしになる。
なんてことをだらだら書きながら自分が今直面しているのは自分の立ち位置がどこか未だにあやふやなプロジェクトである。積み上げたくねぇー。
- 行動のマネジメントでなく結果のマネジメント
- 結果のマネジメント=育成
何となくだけど、そういう物事の本質を捉えようみたいな事ってエライ人とかはみんな違う言葉で言ってるんだよね。「全ての出来事には意味がある」とか。でも弊社は同時に「本質を捉えようとするのは悪」に近い事を言ってることに今気付いた。もちろん真意はそこではないんだけど、そもそも本質の抽出を出来ない人がその言葉を聞くとおそらくそう捉えてしまうだろうというマジカルワード。都合のいい兵隊を作るための施策が張り巡らされていて中々やるな弊社、と改めて感心。気付いた奴から上に行けるんだろうな。
自分はそんな場所で長く働くつもりはないけど、こういう学びを得られるうちはまだ働いていてもいいかなといった感じ。人生を消耗させられそうになったらごめんなさい。
上位のゲーマーが賢い奴ばかりなのって体験から得られる経験値の入り方が全然違うからだと思う。普通の人より経験値バフめちゃくちゃかかってる。どうやって経験値バフをかけてるかっていうと、具体的な事象から本質の部分だけを抽出して抽象的な事象に変換してる。抽象化してしまえば応用が効くから別の部分でもそれが活きてくる。1を聞いて10を知るの正体。それを他のゲーム、或いはゲーム以外の領域でもこなせるから上手い奴には何のゲームをやらせても上手いし、多分何の仕事させても卒なくこなせる。
社会人研修とか一切受けたことがなくカードゲームと音ゲーとボーダーブレイクで得た考え方だけで半年くらい働いてるけど、そこそこ評価が高いのは多分本質的な所が分かってて業務を遂行するのにその応用でいけたから。多少スキルはあっても所詮誤差。そもそもスキルを得るなんてバフがかかってればそれこそ大したことないわけで。
そう考えるとゲームはただの遊びだって頭ごなしに否定するのって「私は物事の本質を捉えることが出来ません」って言ってるのと同義で、そんなこと口に出して吹聴しなくてもいいのにね。